「母様」
帰りの遅い夫の帰りを待ちながら本を読んでいたミナをあどけなさの残る声が呼んだ
顔を本から上げると幼い息子が廊下に立っているのが見える
「まぁ、シュン。まだ起きていたの?」
本を置き、息子に近づきながら問うと「だって、何だか眠れないんだ」と声が返ってくる
「とりあえず、寝室に行きましょう。風邪をひいたら大変だわ」
優しくそういうと、二人は寝室に向かった
ベッドにシュンを寝かせると、ミナはベッドの縁の腰掛けた
息子が眠れるように、歌でも歌おうかと思案しているミナを見つめながらシュンが聞いた
「ねぇ、母様? 母様は昔、歌手だったの?」
言われた言葉に驚いていると、「父様が言ってたんだ」と嬉しそうな声が続いた
(あの人ったら…)
苦笑すると同時に当時の思い出がミナの頭の中に蘇った
小さな劇場 自分の歌を聞いてくれる人達の笑顔 突然始まった戦争 終わりを告げた平和な日々
考え込んでしまったミナに「母様?」と不思議そうなシュンの声が聞こえる
我に帰って「これでも『ドマ一の歌姫』何て呼ばれていたんだから! 国王様の前で歌った事もあるのよ?」と軽口を叩く
「え? 国王様!?」驚いたシュンの声。瞬時にしまったと思った。夫はその事は話していなかったらしい
気まずそうにシュンを見るとキラキラした瞳でミナを見つめながら強請りだす
「母様、国王様の前で歌った時のお話をしてよ! そのお話はして貰ってないよ!」
「ねぇ、お願い! 母様が言い出したんだよ?」
「お話してくれたら寝るから! ちゃんとお手伝いもするから!!」
ここまで言われてしまっては今さら無かった事にするわけにもいかない。仕方ないと首を振る
「じゃあ、話してあげる代わりにお話が終わったら寝るのよ? …それと、父様には内緒。いい?」
小さな小指と指切拳万をすると、ミナは静かに話し始めた
あれは、まだガストラ帝国との戦争が始まったばかりの頃だったわ
その頃母様は、城下町の劇場…って言っても小さなものだったけれど、そこで歌を歌って暮らしていたの
父様はもちろんサムライとしてお城の仕えていたわ
でもね、戦争で城下町が巻き込まれそうになって、その時の国王様ハルト様が城下町の皆をお城の中に入れてくれたの
篭城…って言って、国の皆がお城の中に住んで帝国から身を守るためにね
え? 戦わなかったのかって?
もちろん、ハルト様やサムライ達、兵隊さん…もちろん父様も戦っていたわ
でもね、どうしても敵わない時があった
帝国が魔道アーマーっていう兵器を使って初めて攻めてきたときのこと
初めて使われる兵器で、皆何の備えもしてなかったから苦戦していた
でも、何時もの様にハルト様は先陣を旗って戦っていたの
…そう。重傷を負われたの
いち早くそれに気がついたハルト様のご子息、今の国王様のリュート様と父様が兵を退かせてお城に帰って来たのだけれど―
………
皆が心配していたわ。とても素晴らしくて優しくて、皆に慕われていたから
でもね、どんなに皆が祈っても「回復した」って言う知らせは来なかった
ハルト様が怪我をしてお城に帰って来てから数週間後に
母様ね、急に父様に呼ばれたの「貴女を国王様が呼んでる」って
ええ! それは驚いたわ!! どうして只の国民でしかない母様を? って!
もちろん着いて行ったわ―凄くドキドキした。だって王様に呼ばれたこと何て一度も無かったんだもの
ハルト様が休まれている寝室に通されたわ。もちろん父様も一緒に
扉を開けるとき、それまで何も喋らなかった父様が言ったの「どうか願いを叶えて欲しい」って
何の事か分からないまま寝室の中に父様と入ると、リュート様がハルト様の傍にいらっしゃって手招きするの
母様はリュート様の所に行った。そうしたらね、リュート様が仰られたの
「父は、貴方の大ファンでした。一曲でいい。歌ってはくれませんか?」って
ビックリした? もちろん母様も驚いたわ! 国王様が小さな劇場で歌っている母様のファンだなんて!
驚いて父様を見たの「何の冗談なの?」って
そしたらね、父様の瞳から涙が零れていたの
それを見た途端分かった―
誰も冗談なんて言ってない事
母様を呼んだ『国王様』はリュート様だった事
父様が言っていた『願い』はこのことだった事
そして…ハルト様がもう長くないって事も…
母様は決心した。そして歌ったの―ドマに伝わる子守唄をね
歌が終わるとね、微かにハルト様の口が動いたの
「ありがとう」って
母様は礼をしてそのままお部屋を出た。ここに居てはいけない気がしたから。
その後すぐだったわ。ハルト様が亡くなった事が国中に知らされたのは
ハルト様のお葬式では国中の皆が参列した。皆、悲しんだわ。
雨が降ってきて、誰かが言ったの。「あぁ、空も泣いている」って
…
ハルト様のお葬式が終わって、しばらく経ってから、母様は一通のお手紙を貰ったの
そのお手紙にはね、こう書かれていたわ
『ハルトは時々、城を抜け出して城下町に行く事があり、そこで貴方の歌を聞き、ファンになった様です
常々言っておりました。城下町には素晴らしい歌を歌う歌姫が居ると
貴方の歌を聞き、言っていた意味が分かりました
貴方の歌には他人の心を満たしてくれる優しさがあります
ハルトも幸せに逝った事でしょう
そして、カイエンも…
本当にありがとう リュート=R=ドマ』
手紙を読んだ後、母様は涙が止まらなかった
何故? 何故だったのかしらね。母様もわからない
でも、これだけはわかる
ハルト様が安らかに天に召された事だけは
話し終えてからシュンを見るといつの間にか眠っていたようだった
小さく「お休み」と言って優しくキスをするとミナは部屋を出る
廊下を歩いていると、扉が開く音に気が付いた
急いで玄関に行くと、ミナの夫が帰ってきた所だった
「おかえりなさい」
微笑んで迎えると「まだ起きていたのか?」とどこかで聞いたような台詞が返ってきたためミナは笑った
夫の着替えを手伝いながら、ミナは心の中でシュンに語りかけた
(本当はね、母様が泣いたのは、リュート様が全部知った上であの手紙を書いてくれたことを理解したからよ)
そして、心の中で夫に語りかける。シュンに話す事の無かったお話の続きを
(ねぇ、あなた。覚えている?…)
ハルト様のお葬式が終わった後、貴方の様子が気になった私は探した
稽古場 休憩所 屋上
貴方の行きそうな場所は全て
お城を出て行ったんじゃないかって、お城の外にも出た
でも、居なかった
探しているうちに、いつの間にか夜になっていたわ
でも私は探した
それでも、どこにも居なくて途方に暮れそうになったとき
聞こえたの。貴方の声が
辺りを見渡すと、貴方が居た
雨が降っていたのに傘も差さずに
貴方は湖の畔で泣いていたわね
そっと近づくと、貴方の声が聞こえた
「拙者が付いていながら」「拙者のせいで」
私は貴方が自分を責めているのが分かった
貴方のせいでない事は誰でも分かってる筈なのに
それでも貴方は自分を責めていた
私は貴方を抱きしめた。それしか私に出来る事は無いと思ったから
貴方は驚いたようだった。急に抱きしめられたんだもの、驚くわよね?
でも、振り払おうとはしなかった
だから私は抱きしめていた。ずっと。
どのくらい時間が経ったのかは分からなかった
只、貴方はなき止んでいて、雨が止んで夜空が出ていた
瞬く星に、青白く輝く月が空一面を飾って、凄く綺麗だった
一瞬、月が私達を照らした様に見えた。労わるように、包み込む様に優しく…
その時、私は何かを感じた。
そして、私は貴方から離れると着ているものを脱いだ
服、靴、下着、全てを
貴方は呆然とそれを見ていたけれど、慌てて止めようとした
でもその時には私は裸になっていてから、今度は慌てて目を隠したわね
私はそんな貴方を見て笑ってから、湖の水を掬って体にかけた
湖の水は冷たかったけれど、気にはならなかった
そして、湖の中に入った。水を掻き分けて湖の真ん中まで行くと、私は歌った
祈りの歌を
歌い終わった後、私は空に向かって叫んだ
「神よ、今日貴方の元へ一人の男が行きました。
彼は素晴らしい王でした。そして、彼が逝った事で嘆き悲しむ男が居ます
どうか、王に伝えて下さい。ずっと貴方の帰りを待つ者が居る事を
そして、貴方の基へ行った一人の男と、嘆き悲しむ男に貴方の加護のあらん事を」
そして、貴方の方を振り向いた
貴方はもう、目を隠さずに私を見ていた
そしたら貴方はいきなり叫んだの
「先の国王を『一人の男』などと言ってはいけない!」
クスクスと偲び笑いを漏らすと
不思議そうな声が「何か楽しい事でもあったのか?」と聞いてきた
「ちょっとね」そう答えると、夫は「そうか」と満足そうに頷いた
「もう、遅いから寝ましょう?」そう言うと二人は連れ立って寝室に向かった
愛しそうにシュンの寝顔を見ている夫の横顔は幸せそうに笑っている
何時か、あの話をしても悲しい顔をしない時がこの人には来るのだろうか?
そんな事を思いながら、ミナは灯りを消した
おやすみなさい 愛しい人
世界中の全ての人が貴方を許さなくても
貴方自身が貴方を許さなくても
私が貴方を許します